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Tumblrに統合します [架空鉄道]

おひさしぶりです
架空鉄道関連の話題は基本的にTumblrに統合します
http://samantha-dan564.tumblr.com/

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「サロンのばか」にはならないように [サイト運営]

以下、自戒を込めて。
気が合う仲間と趣味の話をするのは楽しいものです。実際すごく話が盛り上がりますし、充実した時間を過ごせます。しかし、その時間が充実しすぎるのも問題です。
というのは、そこで知識を披露しあったことで充実感を得て創作にエネルギを回せなくなってしまうためです。最近はtwitterやオフ会などでそういった知識を披露しあう機会が多いため、議論は活発だしその趣味において一家言持つ人は増えていますが、肝心のサイトは更新が止まったまま何てのをよく見ます。
もちろんサイトの更新は強制ではないので、それは誰にも強制される謂れはないので、その気になるまでサイトを更新しないのは別段悪いことではありません。
しかし、サロンの議論でエネルギを費やしている限り「その気になる日」は来ないでしょう。それが本人の選択であれば俺がとやかく言うことではありませんが、俺は嫌です。サイトに「管理人超多忙につき更新停滞中」なんて言葉をしばしば見かけますが、俺はその文言を見ると「自分が好きで始めたことに時間を割けなくなったんだな」と、そっとブラウザのバックボタンを押します。
くどいようですがこの文章は他人になにかを要求するものではありません。あくまでも自分の心がけを綴っています。
で、どんなにタイムラインで雄弁に設定を語っても、それが成果物として形にならなければ、俺はそこに価値を見いだせません。どんなに「部品」が集まってもそれを組み立てなければ「作品」にはならないのです。少なくとも俺はそう思います。部品はいくら集めても部品です。
「サロンのばか」にならないよう、たとえマンネリだろうが稚拙だろうが独りよがりだろうが、サイトを更新し続けます。そしてサイトが更新できなくても決して「作者多忙につき」の文言は書きません。
日常が多忙なくらいで、趣味への情熱が衰えるなんて俺にとっては末代までの恥です。
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俺が感想を拒絶する理由 [サイト運営]

 俺は架鉄について「いっさいのご意見ご感想不要、議論はおことわり」としています。それについて他人がどう考えようが知ったことではありませんが、何で自分はこのような考えにいたったのかを考察するのも悪くないなと思い、ブログに貼り付けてみました。
 架空鉄道関連の過去ログを読んでいると、俺けっこう議論してるんですよね。当時と今では考え方に違いはありますが、まあいろいろ言いたい放題話してる。2chの架空鉄道スレッドなんか固定ハンドルで書き込みしてるんだからまあなんというか、すごい。
 で、その議論の中で「お前の作った架鉄は設定がマニアックで内側に向きすぎて想像の余地を与えない」みたいなこと言われまして。いまなら「そりゃそうだそういう風に作ってるんだから」で終わりなんですが、当時は「なるほどあまり内側に向きすぎても独りよがりでよくないのか」なんて思ってしまいました。なんて言うか板の空気が「議論して意見を取り入れることでいいものをつくろう」みたいな空気があったから、それに流されていたのかもしれません。まあいずれにせよ根っこがしっかりはっていなかった当時の俺があっちへふらふらこっちへふらふらするに十分な勢いがあの板にはありました。
 で、まあ自分なりにいろいろやったわけですよ。路線図がない架鉄はどこ走ってるかわからんと書かれればがんばって地図をかき、路線の成立過程がどうだといわれりゃ考え、歴史のない架鉄は薄っぺらいだと言われりゃ歴史を書いて…。そんなことをやってるうちにどんどんコンテンツだけはふくらみましたが、自分としてはまるで面白みもない何かができてしまいました。あげくの果てには「鉄道は経済的要素で動くのであってマニア的な視点で動かない」とか、もう俺の資質全否定ですから。俺は実際に鉄道会社や車両メーカ、車庫、保線現場、関連業者などいろいろなところを、それこそ新幹線からローカル民鉄まで「この目で」見たことをもとに作って来たのにそれ全否定されたんだからそらあもう落ち込みました。
 このときかな。ああ、俺がやりたいことは分かってもらえないんだな、って思ったのは。ただまあ当時は架空鉄道最萌選手権や架空鉄道夜話など交流がそれなりに盛んだったので、そんな中で「ノリ」で更新してはいましたが、正直自分で何かしようって気はなくなりました。で、引退宣言。愛甲さんとこのブログに俺が引退宣言したことについての記述がありますが、もう「自分が作りたいものと受けるものとの乖離」が限界に達していました。愛野電鉄、今見るとホント迷走してます。見るに耐えません。
 で、しばらく他人の目を気にすることなくローカルで楽しんでいるうちに「ああ、これでいいんじゃないの?」って思うようになりました。他人がどう思おうがそんなことを気にするのがどうかしているし、こうあるべきなんてものは必要ない。下手に他人の顔色を見るから気になるのであって、一切を拒絶すればいいじゃないかと。そう開き直って作るよう心がけはしたものの、やはりちょっとは未練が残ってるようで、掲示板なんかを残したりしましたが、すみさといちご鉄道あたりでやっとふっ切れて、そこからは俺様街道一直線です。そんなこともあり、すみさといちご鉄道以降の架鉄は、探せばネット上に転がっているという寸法です。積極的に宣伝はしませんが。
 羹に懲りて膾を吹く、と言いましょうか。自分の架鉄に他人の言葉がわずかでも入るのを俺は警戒します。見る人が俺の架鉄を見てどう感じようがそれは自由ですし、それについてどこかに書き込むのも自由ですが、俺がそれを気にする理由は1ミリもないし、たとえそれがどんなに正しいことだろうが拒絶することにしています。正しいこととそれを選ぶのは別物だからです。
 ただ、勘違いしてほしくないのは「自分の架鉄」に関しては褒められようがなんだろうが意見や感想を拒絶しますが、架鉄の話であれば、議論にならない範囲で楽しく話せればなと思っています。でも、議論吹っかけられたなら俺は全力で逃げます。貴方の考えを最大限尊重する代わり、俺の考えに干渉することは許しません。
 他人に意見を言う前に、自分の架鉄を磨いてください。

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かっこいいとは何か [架空鉄道]

 随分間が空いてしまいましたが、ストリームラインは順調に更新を続けています。伝統としがらみ、「かっこいい」とはどういうことか、そんなことをテーマにつくっています。
 今回悩んだのは、ストリームラインの伝統のひとつとして設定した「電車はかっこよくなければならない」という考え方です。かっこいい、かっこわるいなんて感性の話なので、それを普遍的に表すには一工夫必要です。そこで俺が着目したのはグルメマンガでした。
 たとえば「美味しんぼ」。あれの究極vs至高の対決。あれって旨い不味いを競ってるようで競ってないんですね。美味しんぼの価値観は、「自然に近い食材を手間ひまかけて料理する」ことが「美味しいこと」という風にすり替えられています。いくら読者が「カップラーメンはおいしいじゃないか」と主張しても、美味しんぼの世界では「化学調味料を多用した工業製品」なので「不味い」のです。つまり最初に「美味とは何か」を定義してそこからどれだけ離れているかで尺度を決めているわけですね。あ、俺がよく言う「スタンダードと偏差」だ。
 つまり、ストリームラインは設計担当者が定義する「かっこいい」を基準とし、そこからどれだけずれているかで、かっこいい/かっこわるいを判定します。現在ストリームラインの設計担当には、沼田、浜野、川村の3人がいますが、それぞれの「かっこいい」を定義し、そこからどれだけ偏差するかで各人の対応を決めるというやり方をとっています。
 たとえば沼田は「かっこいいとは刹那の見切りである」と考えています。従って華美な設備を省く傾向にありますが、浜野は「かっこいいとは伝統である」と考えるため、流線型を「無駄」と考え見切る沼田とは相容れない、一方で浜野は「ストリームラインに取って流線型は伝統なのだから外せない」と考えているけど、それを沼田は「ものの良否を見きれず、悪しき伝統に縛られてかっこわるい」と考えるわけです。
 それぞれの人間の考えが交錯し、ストリームラインの電車という形を作り上げる。したがって見た目はけっこうバラバラなんですが、それでも根底に流れるものは共通しているというのがストリームラインの車両デザインなんです。
 伝統とは一体なんだろうと考えてはじめた湘南ストリームラインですが、俺が当初思っていたのとは違う方向に動き出しているようです。
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新企画「湘南ストリームライン」

ことの起こりはTWITTERの書き込みだったかと思います。「誰か横浜〜平塚間の架鉄やらないか」とかそんな書き込み。で、何となく落書きで車両のイメージを作り始めたのでせっかくだから形にしてみようかな、とはじめたのが、いま企画中の湘南平塚電鉄でした。
湘南平塚電鉄のテーマは「伝統に縛られ、時代に振り回される鉄道」。個人的に「伝統」なんてのは新しい価値観とともに葬り去ってしまえと考えるクチですが、今回はあえて「創成期に受けてしまった事象を捨てきれず、時代の変化に振り回される伝統的な鉄道」をやってみようと思います。
湘南平塚電鉄の愛称は「湘南ストリームライン」といいます。これは最近付いたニックネームではなく、昭和7年からそう呼ばれているという設定。そして21世紀になった今でもこの愛称がそのまま使われています。
 車両の系列は3系列。「ストリームライン」の由来となったSL-1、戦時中でもストリームラインを守り通したSL-2、戦後の新しい時代への意気込みを注いだSL-3など、ストリームラインの骨子としてのSL(ストリームライナー)シリーズ、普通電車専用のSC(ストリームコミュータ)シリーズ、ラッシュ時専用のSS(ストリームサポート)シリーズを用意する予定です。
 車両の骨子が固まれば順次公開していく予定なので、期待せずお待ち下さい。
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↑画像は現行の最新鋭SL-7。ただ、SL-1からの整合性をとるために形が変更になることもあるかと思います。ていうかすでに一度変わってるし↓
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曖昧な状態ですがこれだけははっきりとさせておきたい [架空鉄道]

過日、俺は現在製作中のJRツアーズを除いた全架鉄をweb上から非公開にしましたが、もろもろの事情によりサーバ上に生きている架鉄がいくつかあります。が、俺はその架鉄については一切関知しませんし、存在を認めていません。当然どこリンクを貼ることはありません(他人がそれを見つけてリンクを貼ることは当然自由です)。
俺にとって、更新を終了した架鉄には何の魅力もありません。そもそもなぜ更新をやめたのか。
自分の見たいものはあらかた見たからです。であれば、それ以上見る必要はないのです。

つまり、更新を終了した俺の架鉄は俺のものではないのです。ですから過去の架鉄について何か言われても「俺のものじゃないので」答えようがない。そもそも興味もないので答える気もない。とはいえごくごく少数の人が「過去の架鉄を見たい」ということで「俺は存在を認めないけれどもどこかにあるかもしれないね」という曖昧な状態を維持しています。過去の架鉄については基本どんな質問をされても「知らない」としか答えようがありません。なぜならそんなものは存在しないから。

念を押しておきます。
現在の俺の架鉄は「JRツアーズ」だけです
それ以外の架鉄は存在しません

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ビジュアル系架鉄 [架空鉄道]

俺が架鉄画像をアップするとき見せ方に悩みます。車両の紹介だからある程度全貌の見える画像が必要なのはわかった上で、見せたいところ、特徴的なところだけをクローズアップした画像も使いたい。いうなれば鉄道車両ならではのマッス感を出したいなと思っています。
487系を例にとって出しますと、この車両の特徴である展望車と485系のネガを改善したステンレスボディが見所となります。
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俺の中では単なる側面図は論外(他人の架鉄がどうあろうと知ってことではありません。念のため)ですが、とりあえず車両全体を見せるならこんな感じの画像でしょうか。一通りの「情報」は入っていると思いますが、なんとも面白みにかけるなという感じです。

やはりここはグッと寄って特徴的な展望席を見せたい。となれば広角ではどうか。てことでこうなります。
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……デフォルメが効いて上の画像よりは圧倒的に面白くなりましたが、今度は全貌がまるで見えません。


マッス感を出すならやっぱり望遠圧縮だろうとなります。そこで設定を変えてこんなアングルにしてみます。
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手前の作が邪魔なのはまあ何とかするとして、個人的にはなかなか気に入ったアングルですし、広角のときにあった「情報の喪失」もある程度抑えられています。
しかし、ここまで寄ってしまうと、インテリアがスッカスカなのが気になるんですよね。簡単なインテリアでもつけないとサマにならない。しかしこの時点でかなりメモリはギリギリ(すれ違い車両を置く余裕がないのです実は)
ポリゴンによる描画は楽な反面、こういった悩みも出てくるというお話でした。

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因果鉄道 [架空鉄道]

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 487系のスタイリングがぜんぜんまとまりません。とりあえず現状は上の画像で決定稿としていますが、決して満足しているわけではありません。
 俺の中で487系のスタイリングの何が気に入らないかと言うと、因果がつながってない点にあります。JRツアーズは発足時に485系を承継した。485系の運転台は居住性において特に問題はないということで、585系「ウルトラバイオレット」や555系「シャングリ・ラ」に受け継がれます。485系の因と585系の果がここにつながるわけです。前作のよいところはいじらず、ネガを新しくする。これが因果だと思っています。
 487系は485系の因として、車両が鈍重だという点をステンレス鋼にすることで改善しました。ここは因果がつながっています。しかし、運転台は485系で問題がないのだから、485系に似せることが因果律から言えば正しいはずです。
 しかし、487系はそうならなかった。好景気時代の車両なので、サービスという考えが前面に出て、前面展望を考慮した正面形状になるわけですが、このばあい因の存在を明確にしないと、納得できるスタイリングにならないわけです。
 487系の場合は、487系登場以前はJRツアーズではないので因果律を国鉄に求めなくてはなりません。ではどれを求めるのが適切か?

 現在はそんな感じで487系に関しては手詰まり感を感じています。因果律のない車両架鉄なんてやる気はありませんしやる価値もありません。ちゃんと国鉄~JRの因果律を確立しつつなお、JRツアーズらしさが出た車両でなくてはなりません。
 そんなわけで487系のスタイリングにはしばらく悩むことかと思います。



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それではよいお年を [架空鉄道]

 今年は前半が加賀電鉄、後半がJRツアーズとふたつの架空鉄道の製作で終わりました。加賀電は加賀電でけっこう気に入っていたんですが、あるとき2chの架空鉄道スレッドの過去ログを呼んでいてこんな一文が目に入りました。

89 名前:名無しでGO!:2001/08/12(日) 23:38
>>87
てゆーか、全国規模の私鉄なんて
明治の鉄道国有化がなかったら・・というところからIfをはじめない限り、
ありえないんだから、その時点でカナーリむりがある。

 をはじめとする「全国規模の架空鉄道に対するあきらめ」みたいなものにカチンと来たんですね。歴史からいじらなければ全国規模の架鉄はできないみたいな考え方、どこから出てきたんでしょう。彼らにとっての架空鉄道ってのは、歴史と線路がないと架空鉄道ではないのかな? とか思ったり。
 そんな思いもあって、全国規模の架空鉄道をやろうと思ったのが今年の夏ごろ。団体旅客を専門に扱う旅客鉄道会社というコンセプトで練りこみをはじめました。全国規模の架鉄として無理があるかないかは閲覧者の判断に任せますが、自分なりに「全国規模の架鉄としてひとつの回答」にはなったのではないかと思っています。
 まだまだJRツアーズには、温めているネタがいくつもあるので来年ものんびりと楽しみたいところですが「そろそろ通勤電車も作りたいなあ…」とうずうずしていたりもします。

それではよいお年を
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つながるということ [サイト運営]

JRツアーズは、JR線に限らずJR線と接続している路線ならどこへでも乗り入れてしまう、架空鉄道で言うところの「乗り入れ厨」の権化みたいな鉄道です。地方私鉄規格で国鉄規格の大型車両が入れない路線でも、キハ76・77形式「イリュージョン」ならおそらく問題なく入り込めることでしょう。
ただし、やみくもにほかの架鉄に「ウルトラバイオレット」なぢ「とりのうた」が侵攻することはありません。俺がよその架鉄を借りるというのは、JRツアーズの世界観とマッチしたときに限定されるからです。あくまでもJRツアーズの世界を盛り上げる俳優として俺は、ほかの架鉄の要素をJRツアーズに取り込んでいます。
その条件とは何か。まず、1987年4月1日以降の世界を扱った日本国内の架空鉄道であることが条件となります。JRツアーズは1987年の国鉄分割・民営化とともに生まれた鉄道会社です。したがってそれ以前の時代を設定している架空鉄道とは世界観が合わないわけです。
次に、その世界にJRが存在していること。JRツアーズは国鉄の分割・民営化で生まれた会社ですから、JRに代わる大規模鉄道が存在している架空鉄道には入り込めません。
ここからは細かい話になりますが、たとえばJRと競合している、もしくはルートが似ている架空鉄道にも乗り入れはしないでしょう。たとえば北武急行電鉄にJRツアーズの団体列車が乗り入れることは考えづらいのです。あり得るとしたら水海道~筑波山間でしょうか(そこは北武急行じゃないぞ)。都心~前橋、都心~土浦ならJRの線路があるので勝手知ったるJR線を使うというものです。
JRツアーズはシナリオ、ほかの架鉄は役者。そう考えていただければわかりやすいかと思います。

以上を踏まえて

いろいろな世界で「コラボレーション」というものが流行っています。異なる分野や団体が共同で製作するという意味ですが、最近はゲームやアニメでもこの「コラボ」が目立ちます。お互いのファンが取り込めてダブルで盛り上がろうぜ、みたいな発想だとは思うのですがコラボによってそのゲームやアニメが持っている世界観は簡単に蹂躙されます。お祭りだからそれでいいじゃないかと割り切ってしまえればいいのですが、俺はどうも苦手です。
架空鉄道ではコラボレーションに近い考え方として「乗り入れ」があると思います。架鉄仲間の連帯のあかしとして乗り入れしようぜみたいなそんな感じ。そのときに各々が持つ世界観はきれいさっぱり無視されることがあります(あるいはそもそも確固たる世界観を持っていないのかもしれませんが)。
また、自分の架鉄に既存のアニメや漫画の設定を加える場合もあります。この場合はアニメや漫画の世界観に自分の架鉄を合わせることで不協和音を回避することはできますが、複数のアニメや漫画、ゲームの世界観を調整もせずにまぜこぜにした挙句、さらに自分の世界観に矯正するようなケースもあります。
こういった「世界観の蹂躙」に関して本人が楽しいのであれば、そしてそれが蹂躙される側の世界観に影響がなければそれはそれで問題はないのでしょうが、世界観を極めて大事にする架空鉄道に対してそれをやられると正直きついものがあります。コラボはあらゆる世界観を無視します。たとえば漫画が映画化するときに、世界観を無視して人気俳優をあてがうと原作のファンからたいへんなブーイングを受けます。ほかの架鉄の世界観を蹂躙して設定を利用するというのはつまり、元の世界観の否定に等しい行為なわけです。

世界観というのは各々が持つとても大切なものです。作品の核となるものといっても過言ではありません。他人から見たら稚拙に見える世界観だろうが、それはとても神聖なものです。それを合意も話し合いもなく世界観にケチをつけ、改変するような行為は制作者にとってたいへん失礼なことだということは、創作をたしなむ人ならわかってもらえると思います。
各々の世界をつなげるときは、念入りな世界観の分析と話し合いを。そしてすりあわせが困難な場合は結合をあきらめること。それこそがお互いの世界を尊重した行為だと思うのです。
架鉄の乗り入れがなくても作者同士はつながっているはずです。お互いの考え方を尊重するからこそ、つながらないという選択は必要なのです。


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