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ここ最近思ったこと [架鉄ウォッチ]

 人に食わせるわけでなく、自分が食べるために作る食事ってのはまあ、てめえが納得できれば手を抜いても許されるわけです。ひとつふたつ食材が足りなかろうがまあご愛嬌でしょう。ただ、さすがに似ているからといってロールキャベツでキャベツの代わりにレタスを使ったり、挽き肉の代わりに粘土を使ったりはしないと思います。
 ましてや料理がうまくなりたいと思うなら、お手本を参考に丁寧に作ると思うんですよね。そうして少しずつオリジナルの味をいれていく。何度も言いますが楷書ができない人間の行書は個性でもなんでもありません。ただの汚い文字です。

 以上を鑑みて、車両系架鉄を眺めてみます。
 果たして実物を研究して、らしさを求めた架鉄車両はどれだけあるのだろうと思うわけですよ。車両に興味なければ細かいことなんてどうだっていいんです。こんな感じの車両が走ってるなってことが伝わればそれで十分です。
 そうでないなら、まずは実車の寸法を徹底的に守って1両作ってみましょう。自分の感性は例によって捨ててください。車両を実際に作ったこともない人間の感性なんてロクなものではありません。プロの作った図面にかかれた数値には様々な理由があります。その理由が見えてくるまで徹底的に「書写」をすれば、あなたが作る架鉄車両はきっとそれなりに、他人に見せても恥ずかしくない程度のものができるかと思います。スタイリングにおいてもそこそこのバランスを得ることができるでしょう。
 センスは知識です。センスを磨くには知識の取得以外ありえません。知識は観察と分析からしか生まれません。これらの手順を省略したもので他人を説得するのは困難です。それはなぜか?
 知識は万人に共通する基盤です。どんな御託も相手に伝わらなければ意味がありません。窓が大きいのはなぜか、車輪が異様に小さいのはなぜか、一般のルールから逸脱する以上はそこに説明がなければ人に伝わりません。情報と画像がマッチしない、たとえば床下が明らかにVVVFなのに抵抗制御とかかれれば見る側は混乱します。料理の例で言えば、ロールキャベツにレタスを使う理由がわからなければ人は混乱しますよね。
 俺が個人で完結し、わかる人だけがわかればいい。感想不要と言う根拠はここにあります。自分のなかではまだまだ甘い部分があるからです。見る人がみれば怒濤の突っ込みが入るのはわかってます。

 安易な架鉄を世に出せば、叩かれるのは当たり前です。
 それを回避するには誰にも見せないか、叩かれても気にしないか、勉強するしかありません。あなたが「このテレビ下らねえ」「あのアイドルキモい」と放言するように、他人はあなたの架鉄をこき下ろします。世に出すということはそういうこと。プロもアマも関係ありません。
 個人の感想をコントロールできるなんてのは傲慢だと知りましょう。
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