俺の架鉄における表現の自由に関する考え方 [サイト運営]
東日本大震災といい台風12号・15号といい、今年は大災害に見舞われています。架鉄の中でもこれらの災害をネタにいろいろやっている連中がいますが、頭に虫沸いてるんでしょうかね。死ねばいいのに。
さて、俺は言論の自由・表現の自由を何よりも大事にします。俺がやっていることに対して「不謹慎だからやめろ」とか言われるのは心外です。あなたが俺のやることが気に食わないなら軽蔑するなり罵倒するなり、人格を否定するなりすればいいのに「やめろ」とか何様のつもりでしょうか。
おれはこと架鉄において表現を制限するいかなる事象も受け入れません。どんなに反社会的であろうと個人個人の表現は尊重されてしかるべきと考えています。その結果どのような反応が返ってこようが、表現する権利は何者も妨げるべきではないと俺は考えています。
しかし同時に、表現した以上はどのような罵倒や不利益も受け入れるべきであると考えています(無視するというのももちろんありです。俺はこの方法をとっており、自架鉄においていかなる感想・意見も受け入れません)。世に出た作品である以上、閲覧者はそれを自由に批評する権利があります。「嫌なら見ないでくれ」というのは傲慢です。あなたが閲覧者にそれを強要するのは、閲覧者の自由を侵害しています。見れば腹が立つものをわざわざ閲覧して罵倒するのも閲覧者の表現のひとつ。作者はそれを妨げる権利なんてありません。どうしてもそれが嫌なら誰にも見せないか「私の作品を批判することは認めない」と事前に宣言した上で同意者のみに閲覧させるなど「自衛」すべきでしょう。それは表現方法のひとつとしてありだと思います。
で、冒頭で俺は「現実の災害を架鉄に持ち込むバカは死ねばいいのに」と発言しました。もちろんこれは本心です。しかし「現実の災害を架鉄に持ち込むな」とは言いません。現実の災害を架鉄に持ち込んで被災者の心をえぐるのも表現であることには変わりありません。悪趣味だとは思いますが、悪趣味も趣味のうちです。俺はその表現の自由はたとえどれだけ悪趣味であろうが守られるべきであると考えています。
でも、表現の自由を守ることとその作品に不快感を表明するのは別の話です。だから俺は一連の頭に虫がわいた連中を軽蔑しますし罵倒します。しかしその表現をやめろトは言わないのです。どんどんやっていただきたい。
もちろん俺のサイトを罵倒するのも、冒頭で宣言したとおり自由です。どんどん罵倒してかまいません。しかし俺はその罵倒は受け入れません。俺は不愉快な架鉄を作り、閲覧者は罵倒する。そして俺はそれを無視する。
これこそお互いが自由を行使した素晴らしい関係だと思っています。
さて、俺は言論の自由・表現の自由を何よりも大事にします。俺がやっていることに対して「不謹慎だからやめろ」とか言われるのは心外です。あなたが俺のやることが気に食わないなら軽蔑するなり罵倒するなり、人格を否定するなりすればいいのに「やめろ」とか何様のつもりでしょうか。
おれはこと架鉄において表現を制限するいかなる事象も受け入れません。どんなに反社会的であろうと個人個人の表現は尊重されてしかるべきと考えています。その結果どのような反応が返ってこようが、表現する権利は何者も妨げるべきではないと俺は考えています。
しかし同時に、表現した以上はどのような罵倒や不利益も受け入れるべきであると考えています(無視するというのももちろんありです。俺はこの方法をとっており、自架鉄においていかなる感想・意見も受け入れません)。世に出た作品である以上、閲覧者はそれを自由に批評する権利があります。「嫌なら見ないでくれ」というのは傲慢です。あなたが閲覧者にそれを強要するのは、閲覧者の自由を侵害しています。見れば腹が立つものをわざわざ閲覧して罵倒するのも閲覧者の表現のひとつ。作者はそれを妨げる権利なんてありません。どうしてもそれが嫌なら誰にも見せないか「私の作品を批判することは認めない」と事前に宣言した上で同意者のみに閲覧させるなど「自衛」すべきでしょう。それは表現方法のひとつとしてありだと思います。
で、冒頭で俺は「現実の災害を架鉄に持ち込むバカは死ねばいいのに」と発言しました。もちろんこれは本心です。しかし「現実の災害を架鉄に持ち込むな」とは言いません。現実の災害を架鉄に持ち込んで被災者の心をえぐるのも表現であることには変わりありません。悪趣味だとは思いますが、悪趣味も趣味のうちです。俺はその表現の自由はたとえどれだけ悪趣味であろうが守られるべきであると考えています。
でも、表現の自由を守ることとその作品に不快感を表明するのは別の話です。だから俺は一連の頭に虫がわいた連中を軽蔑しますし罵倒します。しかしその表現をやめろトは言わないのです。どんどんやっていただきたい。
もちろん俺のサイトを罵倒するのも、冒頭で宣言したとおり自由です。どんどん罵倒してかまいません。しかし俺はその罵倒は受け入れません。俺は不愉快な架鉄を作り、閲覧者は罵倒する。そして俺はそれを無視する。
これこそお互いが自由を行使した素晴らしい関係だと思っています。