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感性を信じるな [架鉄ウォッチ]

デザインのカテゴリにはおおまかに言って「エンジニアリング」と「スタイリング」がありますが、俺が「デザイン」と言うときに、意図的に「スタイリング」の要素を外しています。それは俺にスタイリングのセンスがないから語ることが出来ないという点が大きいのです。まあ、エンジニアリングのセンスも自慢できるようなものではありませんが、それでもスタイリングよりは語れます。
センスとはこのブログで何度も言っていますが、知識です。間違っても己の感性などではありません。知識という言い方が癇に障るなら「作法」でもいいです。いずれにせよそのジャンルに対しての造詣が問われるわけです。
モノの成り立ちというのは長い歴史の中でいろいろな人が提案し、議論し、形を作ってきました。その流れは多くの人に触れられることで「万人がよしとする形」となって行きます。つまり、長い歴史の中で森羅万象さまざまなものが「デザインされてきた」わけです。
人が100人いれば100人の考え方があります。その中の1人が自分のために何かをするのであれば「感性」に頼ってもいいでしょう。しかし、100人が使うものであれば独りよがりの感性で作られたものが皆に喜ばれる可能性はきわめて低い。ではどうするか。

デザインするんです。

これまでの歴史に学び、作法を学び、様式を学び、その上で用途を考え構築する。そうすることで多くの人が使いやすいものが出来るわけです。長い歴史の中で多くの人が美しいと思うコーディネートがファッションセンスであり、多くの人が美しいと思うのが芸術的センス。つまり、センスは知識であり教養であり作法なのです。

架空鉄道でも車両に関しては、100年の長い歴史の中でさまざまな技術が提案され、作られてきました。それは各鉄道の事情にベストフィットしたとは限りませんが、日本の鉄道という環境の中で最適解を求め続けてきた歴史があり、さまざまな法律による作法があり、先人が残してきた知識があります。これらを無視してたかだか数十年しか生きていない自分の「感性」だけで作った車両がはたして「デザインされた車両」といえるでしょうか。俺にはそんな不遜はできません。

架空鉄道はしょせんは遊びです。ですから自分の好きに楽しむのがいちばんです。それを踏まえたうえで言いますが、歴史を学び、作法を学び、知識を蓄えて崩した架鉄はとても見ごたえがあります。
そこで蓄えられたセンスは、作者の感性に磨きをかけて、架鉄はいっそう魅力的に発展していくことでしょう。

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