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名もなき架鉄 [架鉄ウォッチ]

架鉄趣味は衰退したのか

そら一時期と比べてweb架鉄の更新頻度は下がったかもしれません。読み応えのある架鉄が減っているのも事実かもしれません。しかしそれをもって「架鉄が衰退した」「ええ架鉄スレが動いていた時期はよかった」というのもちょっと違うんじゃないかと思ったりもします。
架鉄は基本的に空想遊びです。自身の脳内で完結していればいいのですから、あちこちに矛盾があって当たり前。その中のごく一部がその矛盾を考察し、合理的な解釈を与えて楽しんでいるんだと思います。
ここで間違ってほしくないのは、想像に対して合理的な解釈を与える楽しみ方「だけ」が、架鉄の遊び方ではないということです。脳内に思いのまま風景を構築し、列車を走らせるのも立派な架鉄の楽しみ方といえましょう。そういった意味では架鉄は廃れてないのです。

俺は「ええ架鉄病」という言い方をよくします。自分が勝手に悩んでいい物を作る。これはまったく悪いことではありませんし、ええ架鉄病ではありません。たちが悪いのは、他人の架鉄へのかかわり方に対して、自分の架鉄の尺度で物差しを当ててしまうことです。そりゃああなた様は立派な架鉄を作っているかもしれません。でも、それ以外のあり方を認めないってのは、そりゃあ了見が狭いんじゃありませんかと思うわけです。
以前のエントリにも書きましたが、俺は歴史が大嫌いです。考証もできることならしたくありません。今でも「歴史」とか「考証」と聞くと身構えるほどに嫌いです。ただ風景の中を俺が思い浮かべた電車が走る。それが俺の中でもっとも楽しい架鉄です。もし「考証なき架鉄は架鉄にあらず」なんていわれたら、俺は「じゃあ架鉄やめるわ」とするでしょう。何人たりとも俺の架鉄に触れることは許されないのです。

もしかしたら、「架鉄が廃れた」と思っているあなたが架鉄を廃れさせているんじゃないでしょうか。
ある種の形以外のものでないと、ある一定のレベルでないと架鉄として認めない。そんな気持ちがあるんじゃないでしょうか?
あなたが思っている以上に「名もなき架鉄」は多いと思いますよ
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加賀電のこれから [架空鉄道]

 加賀電はとりあえず1年はやろうと思っているので、2012年度の事業計画を考えていました。中小私鉄なのでできることなんざ限られていますが、まあこんな感じで

車両計画

新造:120型 2両
改造:750形 400形をMBSA-1へ
廃車:400形 1両

 増結用T車はあまり稼がないわけですから、新造はあり得ません。そんなわけで400形のT2両をバラし、増結車として再利用します。中間車は廃車となります。3両固定の輸送力は魅力ですが、日中や休日に使い道がないので車両運用的には1+2両の組み合わせがベターと言えましょう。
 ブレーキ改造は最終的にブレーキシステムをMBSA-1に統一するためのもの。HSCの性能に何ら不満があるわけではありません(むしろMBSA-1のほうに不満があるくらいです)が、近い将来HSCの部品枯渇が考えられるので先手を打つというわけです。
2012年以降は500形の扱いをどうするか、考えなくてはなりません。2編成はMBSA-1に改造されましたが、残り4本も改造するのか、それとも新車で代替するのか。鋼製車体の電車で腐食も進んでいるため、4本は改造せずに廃車となるかもしれません。
 730形の立場も微妙なものになってきました。本来ならMBSA-1で新造すべきでしたが、うっかりHSCで設定してしまったためにいろいろ面倒なことになってしまいました。ブレーキ読み替え装置搭載という手も使えますが、個人的にはあの装置、あまり信用していません。
 わずか1年でMBSA-1に再改造するのか。それともHSCグループを1編成だけ残すか。行き当たりばったりで決めた部分だけにどう落とし前をつけるべきか悩むところです。


設備計画

寺井駅改良工事(2011年より継続)
柏野駅改良工事

 寺井駅は線路配置のみ完了したので次は駅舎やホームの改良を行う予定。また、柏野駅はいまだに便所のような駅舎なので駅舎の改築と構内踏切の廃止を行う予定。まあこのへんは設定上は余禄ですね。


愛なんてどこにもないから気楽 [架空鉄道]

 300形が大洞鉄道に移籍というネタを加賀電でやりました。
 このネタをやるならやっぱりトレーラーで運ばれているところを映像化したいなと思ったんですが、俺はトレーラーにただの1ミリも興味がありませんし、ディテールに凝っていたずらにポリゴンを消費したくない。そんなわけで適当な形を作ってテクスチャでごまかすという方針が早々にきまりました。問題はトレーラーのテクスチャをどうするかです。いちいちイラストを描くのも面倒だ。
 ってことで思いついたのが、トミカをデジカメで撮影して画像加工の上テクスチャにする方法。こんかい実験台になるのはタンクローリーです。どうせ運転台しか撮影しないので、タンクだろうがなんだろうが気にしません。
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で、コクピットを撮影して作ったテクスチャがこちら


で、これをああしてこうするとこうなった


 俺は自動車に対する愛がありません。だから「このくらいでいいや」とばかりにスパスパッと割り切ります。何でもかんでも真面目にやってたら架鉄なんてできません。本当にこだわりたい部分以外はいい加減にお茶を濁すのも、架鉄を長続きさせるコツだと思います。
 はっきり言って背景を使い回ししているからこそ、画像だけは豊富な加賀電なんです。いちいち新規にこだわってデータを起こしていたら、こんなサイトは作れませんよ。

スタイリングの系譜~200形 [架空鉄道]

 加賀電の現役フリートにおけるスタイリングの流れは、500形を基準にしていますが、その中で200形だけ妙に浮いているのが気になります。もちろん設定としてはスタイリングの系譜がないわけではないのですが、それを解説するにはポリゴンでモデルをつくらにゃあならんわけで、まあこんなこと気にしている人もいないだろうからそのうちやっつけようと思っていました。
 で、いろいろあって眠れない秋の夜を使ってもうひとつの200形、赤瀬線200形を作ってみました。
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 赤瀬線は新小松駅から金平駅までは尾小屋鉄道線を走り、金平から赤瀬温泉までの6.4キロを結んでいました。尾小屋鉄道の廃止と同じ日に赤瀬線も「休止」となって現在は代行バスが走っているという設定です。
 この赤瀬線を救済できなかったことが加賀電の内部ではとても忸怩たる思いだったようで、2000年に赤瀬温泉が閉鎖したにもかかわらずいまだ代行バスを走らせているほどに思い入れがあるようです。
 そんな加賀電が赤瀬線のクイーンだった200形に思いを馳せた新車を作っても不思議ではありません。

 赤瀬線200形は1963年登場。独立間もない加賀電が温泉観光の目玉として2両製造しました。1両あたり75馬力の強力エンジンを搭載し、赤瀬温泉までの勾配区間を力走していました。車幅が2,100ミリと狭いために1人がけではありますがクロスシートを装備するなど、観光列車を意識していました。
 1968年に300形がデビューすると、新小松駅で加賀電特急とホームタッチで接続して赤瀬温泉に観光客を運んでいましたが、1975年の尾小屋鉄道廃止にあわせて廃車されました。再起を誓ってしばらくの間は新小松駅跡に留置されていましたが、加賀電小松金沢線の輸送力増強が急務となり、いつの間にか解体されてしまいました。

 200形は都市間連絡電車に特化したデザインになっていますが、スタイリングには観光要素を少しだけ入れています。それはみすみす手放してしまった赤瀬線への思いがいまだ断ち切れていない加賀電の気持ちがあらわれているのかもしれません。
 そんな湿っぽい話が企業で起こるわけがないじゃないかと思うかもしれませんし、それは正しいかもしれません。
 でも、加賀電では現実にあったのです。

マンションを作る [架空鉄道]

 加賀電は基本的に車両の設定以外はすべて与太ですが、「車両画像にはどんな些細なものでも背景をつける」という縛りを自らに課しているため、ポリゴンのデータは車両以外でもがんがん造らなくてはなりません。とはいえ建物に興味なんて欠片もありませんから当然やる気が起こりません。そんなもんだからマンションはず~っと昔から下のモデルを使っていました。


 しかしいつまでもこのマンションだけに頼っているのもなんだなということで、マンションをもう一棟つくることにしました。ポリゴン数は可能な限り少なく、それでいてちょびっとだけディテールをアップさせることを目標に。テクスチャは近所のマンションを撮影して切り出していますが、形状を変えてあるのでまずもんだいないでしょう。
 そんなこんなで30分ほどかけて作ったのがこちら



 11階建ての高層マンションが石川県の片田舎にあるというのもどうかと思いますが、俺の世界では加賀電沿線はそれなりに住宅が立て込んでいるのでオッケーです。また、このマンションを組み合わせてさらにでっかくすることもできるようにしてあります。
 基本背景は使いまわしですが、そのうちこのマンションが背景に出たら「あ、あのマンションか」とほくそえんでいただければ幸いです。


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