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「サロンのばか」にはならないように [サイト運営]

以下、自戒を込めて。
気が合う仲間と趣味の話をするのは楽しいものです。実際すごく話が盛り上がりますし、充実した時間を過ごせます。しかし、その時間が充実しすぎるのも問題です。
というのは、そこで知識を披露しあったことで充実感を得て創作にエネルギを回せなくなってしまうためです。最近はtwitterやオフ会などでそういった知識を披露しあう機会が多いため、議論は活発だしその趣味において一家言持つ人は増えていますが、肝心のサイトは更新が止まったまま何てのをよく見ます。
もちろんサイトの更新は強制ではないので、それは誰にも強制される謂れはないので、その気になるまでサイトを更新しないのは別段悪いことではありません。
しかし、サロンの議論でエネルギを費やしている限り「その気になる日」は来ないでしょう。それが本人の選択であれば俺がとやかく言うことではありませんが、俺は嫌です。サイトに「管理人超多忙につき更新停滞中」なんて言葉をしばしば見かけますが、俺はその文言を見ると「自分が好きで始めたことに時間を割けなくなったんだな」と、そっとブラウザのバックボタンを押します。
くどいようですがこの文章は他人になにかを要求するものではありません。あくまでも自分の心がけを綴っています。
で、どんなにタイムラインで雄弁に設定を語っても、それが成果物として形にならなければ、俺はそこに価値を見いだせません。どんなに「部品」が集まってもそれを組み立てなければ「作品」にはならないのです。少なくとも俺はそう思います。部品はいくら集めても部品です。
「サロンのばか」にならないよう、たとえマンネリだろうが稚拙だろうが独りよがりだろうが、サイトを更新し続けます。そしてサイトが更新できなくても決して「作者多忙につき」の文言は書きません。
日常が多忙なくらいで、趣味への情熱が衰えるなんて俺にとっては末代までの恥です。
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俺が感想を拒絶する理由 [サイト運営]

 俺は架鉄について「いっさいのご意見ご感想不要、議論はおことわり」としています。それについて他人がどう考えようが知ったことではありませんが、何で自分はこのような考えにいたったのかを考察するのも悪くないなと思い、ブログに貼り付けてみました。
 架空鉄道関連の過去ログを読んでいると、俺けっこう議論してるんですよね。当時と今では考え方に違いはありますが、まあいろいろ言いたい放題話してる。2chの架空鉄道スレッドなんか固定ハンドルで書き込みしてるんだからまあなんというか、すごい。
 で、その議論の中で「お前の作った架鉄は設定がマニアックで内側に向きすぎて想像の余地を与えない」みたいなこと言われまして。いまなら「そりゃそうだそういう風に作ってるんだから」で終わりなんですが、当時は「なるほどあまり内側に向きすぎても独りよがりでよくないのか」なんて思ってしまいました。なんて言うか板の空気が「議論して意見を取り入れることでいいものをつくろう」みたいな空気があったから、それに流されていたのかもしれません。まあいずれにせよ根っこがしっかりはっていなかった当時の俺があっちへふらふらこっちへふらふらするに十分な勢いがあの板にはありました。
 で、まあ自分なりにいろいろやったわけですよ。路線図がない架鉄はどこ走ってるかわからんと書かれればがんばって地図をかき、路線の成立過程がどうだといわれりゃ考え、歴史のない架鉄は薄っぺらいだと言われりゃ歴史を書いて…。そんなことをやってるうちにどんどんコンテンツだけはふくらみましたが、自分としてはまるで面白みもない何かができてしまいました。あげくの果てには「鉄道は経済的要素で動くのであってマニア的な視点で動かない」とか、もう俺の資質全否定ですから。俺は実際に鉄道会社や車両メーカ、車庫、保線現場、関連業者などいろいろなところを、それこそ新幹線からローカル民鉄まで「この目で」見たことをもとに作って来たのにそれ全否定されたんだからそらあもう落ち込みました。
 このときかな。ああ、俺がやりたいことは分かってもらえないんだな、って思ったのは。ただまあ当時は架空鉄道最萌選手権や架空鉄道夜話など交流がそれなりに盛んだったので、そんな中で「ノリ」で更新してはいましたが、正直自分で何かしようって気はなくなりました。で、引退宣言。愛甲さんとこのブログに俺が引退宣言したことについての記述がありますが、もう「自分が作りたいものと受けるものとの乖離」が限界に達していました。愛野電鉄、今見るとホント迷走してます。見るに耐えません。
 で、しばらく他人の目を気にすることなくローカルで楽しんでいるうちに「ああ、これでいいんじゃないの?」って思うようになりました。他人がどう思おうがそんなことを気にするのがどうかしているし、こうあるべきなんてものは必要ない。下手に他人の顔色を見るから気になるのであって、一切を拒絶すればいいじゃないかと。そう開き直って作るよう心がけはしたものの、やはりちょっとは未練が残ってるようで、掲示板なんかを残したりしましたが、すみさといちご鉄道あたりでやっとふっ切れて、そこからは俺様街道一直線です。そんなこともあり、すみさといちご鉄道以降の架鉄は、探せばネット上に転がっているという寸法です。積極的に宣伝はしませんが。
 羹に懲りて膾を吹く、と言いましょうか。自分の架鉄に他人の言葉がわずかでも入るのを俺は警戒します。見る人が俺の架鉄を見てどう感じようがそれは自由ですし、それについてどこかに書き込むのも自由ですが、俺がそれを気にする理由は1ミリもないし、たとえそれがどんなに正しいことだろうが拒絶することにしています。正しいこととそれを選ぶのは別物だからです。
 ただ、勘違いしてほしくないのは「自分の架鉄」に関しては褒められようがなんだろうが意見や感想を拒絶しますが、架鉄の話であれば、議論にならない範囲で楽しく話せればなと思っています。でも、議論吹っかけられたなら俺は全力で逃げます。貴方の考えを最大限尊重する代わり、俺の考えに干渉することは許しません。
 他人に意見を言う前に、自分の架鉄を磨いてください。

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