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「サロンのばか」にはならないように [サイト運営]

以下、自戒を込めて。
気が合う仲間と趣味の話をするのは楽しいものです。実際すごく話が盛り上がりますし、充実した時間を過ごせます。しかし、その時間が充実しすぎるのも問題です。
というのは、そこで知識を披露しあったことで充実感を得て創作にエネルギを回せなくなってしまうためです。最近はtwitterやオフ会などでそういった知識を披露しあう機会が多いため、議論は活発だしその趣味において一家言持つ人は増えていますが、肝心のサイトは更新が止まったまま何てのをよく見ます。
もちろんサイトの更新は強制ではないので、それは誰にも強制される謂れはないので、その気になるまでサイトを更新しないのは別段悪いことではありません。
しかし、サロンの議論でエネルギを費やしている限り「その気になる日」は来ないでしょう。それが本人の選択であれば俺がとやかく言うことではありませんが、俺は嫌です。サイトに「管理人超多忙につき更新停滞中」なんて言葉をしばしば見かけますが、俺はその文言を見ると「自分が好きで始めたことに時間を割けなくなったんだな」と、そっとブラウザのバックボタンを押します。
くどいようですがこの文章は他人になにかを要求するものではありません。あくまでも自分の心がけを綴っています。
で、どんなにタイムラインで雄弁に設定を語っても、それが成果物として形にならなければ、俺はそこに価値を見いだせません。どんなに「部品」が集まってもそれを組み立てなければ「作品」にはならないのです。少なくとも俺はそう思います。部品はいくら集めても部品です。
「サロンのばか」にならないよう、たとえマンネリだろうが稚拙だろうが独りよがりだろうが、サイトを更新し続けます。そしてサイトが更新できなくても決して「作者多忙につき」の文言は書きません。
日常が多忙なくらいで、趣味への情熱が衰えるなんて俺にとっては末代までの恥です。
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俺が感想を拒絶する理由 [サイト運営]

 俺は架鉄について「いっさいのご意見ご感想不要、議論はおことわり」としています。それについて他人がどう考えようが知ったことではありませんが、何で自分はこのような考えにいたったのかを考察するのも悪くないなと思い、ブログに貼り付けてみました。
 架空鉄道関連の過去ログを読んでいると、俺けっこう議論してるんですよね。当時と今では考え方に違いはありますが、まあいろいろ言いたい放題話してる。2chの架空鉄道スレッドなんか固定ハンドルで書き込みしてるんだからまあなんというか、すごい。
 で、その議論の中で「お前の作った架鉄は設定がマニアックで内側に向きすぎて想像の余地を与えない」みたいなこと言われまして。いまなら「そりゃそうだそういう風に作ってるんだから」で終わりなんですが、当時は「なるほどあまり内側に向きすぎても独りよがりでよくないのか」なんて思ってしまいました。なんて言うか板の空気が「議論して意見を取り入れることでいいものをつくろう」みたいな空気があったから、それに流されていたのかもしれません。まあいずれにせよ根っこがしっかりはっていなかった当時の俺があっちへふらふらこっちへふらふらするに十分な勢いがあの板にはありました。
 で、まあ自分なりにいろいろやったわけですよ。路線図がない架鉄はどこ走ってるかわからんと書かれればがんばって地図をかき、路線の成立過程がどうだといわれりゃ考え、歴史のない架鉄は薄っぺらいだと言われりゃ歴史を書いて…。そんなことをやってるうちにどんどんコンテンツだけはふくらみましたが、自分としてはまるで面白みもない何かができてしまいました。あげくの果てには「鉄道は経済的要素で動くのであってマニア的な視点で動かない」とか、もう俺の資質全否定ですから。俺は実際に鉄道会社や車両メーカ、車庫、保線現場、関連業者などいろいろなところを、それこそ新幹線からローカル民鉄まで「この目で」見たことをもとに作って来たのにそれ全否定されたんだからそらあもう落ち込みました。
 このときかな。ああ、俺がやりたいことは分かってもらえないんだな、って思ったのは。ただまあ当時は架空鉄道最萌選手権や架空鉄道夜話など交流がそれなりに盛んだったので、そんな中で「ノリ」で更新してはいましたが、正直自分で何かしようって気はなくなりました。で、引退宣言。愛甲さんとこのブログに俺が引退宣言したことについての記述がありますが、もう「自分が作りたいものと受けるものとの乖離」が限界に達していました。愛野電鉄、今見るとホント迷走してます。見るに耐えません。
 で、しばらく他人の目を気にすることなくローカルで楽しんでいるうちに「ああ、これでいいんじゃないの?」って思うようになりました。他人がどう思おうがそんなことを気にするのがどうかしているし、こうあるべきなんてものは必要ない。下手に他人の顔色を見るから気になるのであって、一切を拒絶すればいいじゃないかと。そう開き直って作るよう心がけはしたものの、やはりちょっとは未練が残ってるようで、掲示板なんかを残したりしましたが、すみさといちご鉄道あたりでやっとふっ切れて、そこからは俺様街道一直線です。そんなこともあり、すみさといちご鉄道以降の架鉄は、探せばネット上に転がっているという寸法です。積極的に宣伝はしませんが。
 羹に懲りて膾を吹く、と言いましょうか。自分の架鉄に他人の言葉がわずかでも入るのを俺は警戒します。見る人が俺の架鉄を見てどう感じようがそれは自由ですし、それについてどこかに書き込むのも自由ですが、俺がそれを気にする理由は1ミリもないし、たとえそれがどんなに正しいことだろうが拒絶することにしています。正しいこととそれを選ぶのは別物だからです。
 ただ、勘違いしてほしくないのは「自分の架鉄」に関しては褒められようがなんだろうが意見や感想を拒絶しますが、架鉄の話であれば、議論にならない範囲で楽しく話せればなと思っています。でも、議論吹っかけられたなら俺は全力で逃げます。貴方の考えを最大限尊重する代わり、俺の考えに干渉することは許しません。
 他人に意見を言う前に、自分の架鉄を磨いてください。

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つながるということ [サイト運営]

JRツアーズは、JR線に限らずJR線と接続している路線ならどこへでも乗り入れてしまう、架空鉄道で言うところの「乗り入れ厨」の権化みたいな鉄道です。地方私鉄規格で国鉄規格の大型車両が入れない路線でも、キハ76・77形式「イリュージョン」ならおそらく問題なく入り込めることでしょう。
ただし、やみくもにほかの架鉄に「ウルトラバイオレット」なぢ「とりのうた」が侵攻することはありません。俺がよその架鉄を借りるというのは、JRツアーズの世界観とマッチしたときに限定されるからです。あくまでもJRツアーズの世界を盛り上げる俳優として俺は、ほかの架鉄の要素をJRツアーズに取り込んでいます。
その条件とは何か。まず、1987年4月1日以降の世界を扱った日本国内の架空鉄道であることが条件となります。JRツアーズは1987年の国鉄分割・民営化とともに生まれた鉄道会社です。したがってそれ以前の時代を設定している架空鉄道とは世界観が合わないわけです。
次に、その世界にJRが存在していること。JRツアーズは国鉄の分割・民営化で生まれた会社ですから、JRに代わる大規模鉄道が存在している架空鉄道には入り込めません。
ここからは細かい話になりますが、たとえばJRと競合している、もしくはルートが似ている架空鉄道にも乗り入れはしないでしょう。たとえば北武急行電鉄にJRツアーズの団体列車が乗り入れることは考えづらいのです。あり得るとしたら水海道~筑波山間でしょうか(そこは北武急行じゃないぞ)。都心~前橋、都心~土浦ならJRの線路があるので勝手知ったるJR線を使うというものです。
JRツアーズはシナリオ、ほかの架鉄は役者。そう考えていただければわかりやすいかと思います。

以上を踏まえて

いろいろな世界で「コラボレーション」というものが流行っています。異なる分野や団体が共同で製作するという意味ですが、最近はゲームやアニメでもこの「コラボ」が目立ちます。お互いのファンが取り込めてダブルで盛り上がろうぜ、みたいな発想だとは思うのですがコラボによってそのゲームやアニメが持っている世界観は簡単に蹂躙されます。お祭りだからそれでいいじゃないかと割り切ってしまえればいいのですが、俺はどうも苦手です。
架空鉄道ではコラボレーションに近い考え方として「乗り入れ」があると思います。架鉄仲間の連帯のあかしとして乗り入れしようぜみたいなそんな感じ。そのときに各々が持つ世界観はきれいさっぱり無視されることがあります(あるいはそもそも確固たる世界観を持っていないのかもしれませんが)。
また、自分の架鉄に既存のアニメや漫画の設定を加える場合もあります。この場合はアニメや漫画の世界観に自分の架鉄を合わせることで不協和音を回避することはできますが、複数のアニメや漫画、ゲームの世界観を調整もせずにまぜこぜにした挙句、さらに自分の世界観に矯正するようなケースもあります。
こういった「世界観の蹂躙」に関して本人が楽しいのであれば、そしてそれが蹂躙される側の世界観に影響がなければそれはそれで問題はないのでしょうが、世界観を極めて大事にする架空鉄道に対してそれをやられると正直きついものがあります。コラボはあらゆる世界観を無視します。たとえば漫画が映画化するときに、世界観を無視して人気俳優をあてがうと原作のファンからたいへんなブーイングを受けます。ほかの架鉄の世界観を蹂躙して設定を利用するというのはつまり、元の世界観の否定に等しい行為なわけです。

世界観というのは各々が持つとても大切なものです。作品の核となるものといっても過言ではありません。他人から見たら稚拙に見える世界観だろうが、それはとても神聖なものです。それを合意も話し合いもなく世界観にケチをつけ、改変するような行為は制作者にとってたいへん失礼なことだということは、創作をたしなむ人ならわかってもらえると思います。
各々の世界をつなげるときは、念入りな世界観の分析と話し合いを。そしてすりあわせが困難な場合は結合をあきらめること。それこそがお互いの世界を尊重した行為だと思うのです。
架鉄の乗り入れがなくても作者同士はつながっているはずです。お互いの考え方を尊重するからこそ、つながらないという選択は必要なのです。


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趣味性の違いは敵対じゃない [サイト運営]

音楽バンドが解散するとき「音楽性の違い」という言葉で解散の理由を語ったりもしますが、音楽に人生をささげている人間にとって音楽性が異なる人間とは仕事ができないということなのでしょう。しかし、音楽性が違う=人格の否定ではありません。持っている価値観は異なりはするけどその価値観は尊重する、それゆえに別れるわけです。だから解散しても仲がいいというのは不思議なことでも何でもありません。
以上を踏まえて
架空鉄道の作者が集まって年2回やっているオフがあり、これまでずっと俺も参加をしていましたが、今年の夏のオフ会は参加しませんでした。漠然と自分の架鉄感と周りの架鉄感との間に折り合いがつかなくなってきたな、というのを感じ始めたからです。それが何であるかは語るべきではないと思うし語る必要もないと思いますが、俺が楽しめないのであれば参加する理由はありません。しかし、オフ会以外の場所、たとえばtwitterでは今まで通り架鉄の話をしています。なぜならこの場所は俺の違和感を感じない部分だけで交流ができるからです。思想の違いは敵対ではないのです。俺が政治の話を極端に嫌う理由はこれができない人間が多いからなんですが、それはまた別の話。
おそらく架鉄のオフ会には今後も参加しないでしょうし、価値観の溝が埋まることは今後もないと思っています。でも、価値観がそろう部分は今まで通り交流する。俺はそれがいちばん楽なんじゃないかなと思います。

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よそ様のおもちゃで遊ぶ以上は [サイト運営]

JRツアーズは営業キロは3,000キロ以上ありますが、第2種鉄道事業者ゆえに自らの路線は所有していません。そのかわりJRの車両が入れる路線ならJRに限らず民鉄だろうが第3セクターだろうがガンガン乗り入れできてしまいます。ついでに言うと架空都市だって軸重10.6トンを許容してくれるなら喜んで乗り入れてしまいます。つまりこれは俺なりの「乗り入れ架鉄の提案」なわけです。
で、乗り入れを行うに当たっての最低限の礼儀として俺は「相手の架鉄の世界観を極力いじらず、自分が合理的に解釈して俺の世界観に取り込む」ことにしています。小野川電鉄に関しては俺なりの解釈がもちろん混ざっていますが、俺が小野川電鉄のwebを熟読し、小野川電鉄が持つ世界観を極力崩さないよう「とりのうた」を乗り入れさせています。
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今後の予定としては羽根さんが設定した豪華列車「和」をJRツアーズの世界に取り込むつもりですが、82系客車「和」のよい点悪い点を検討し、そこから487系「エルドラド」、555系「シャングリ・ラ」へと発展した、という流れにしたいと考えています。「和」の設定やコンセプトはいじりません。「和」がどのような流れを経て「シャングリ・ラ」につながったのかを作るのが俺の仕事です。

実はこれ、なかなかエキサイティングな話でして、「和」は羽根さんの考える豪華団体列車、「シャングリ・ラ」は俺の考える豪華団体列車なわけですが、一人で楽しむ架鉄ではなかなか難しい「異なる考えを持った人間が開発した車両」という遊びができるんですね。形を変えた合同架鉄とでも言いましょうか。「シャングリ・ラ」を設定した理由は「俺なりの『和』ってどんな形なんだろう」というところから始まっています。そんなわけで羽根さんに「このおもちゃ貸して」という感じでJRツアーズに登場させる次第なのであります。

他人のおもちゃで遊ぶのはそれはそれで楽しいものですが、世界観のすり合わせはしたほうがいいとおもうし、あまりにも相手と自分で世界観が異なる場合は、相手の世界観に合わせるのが、せめてもの礼儀じゃないかなと思ういます。やっぱさ~、みんなでスーパーカー消しゴムで遊んでいるのに、横から怪獣消しゴム割り込ませて「怪獣だから自動車なんか潰しちゃうぞ~、みんなも怪獣ごっこやろうぜ~」なんて言っても誰も喜ばないわけでして。
やっぱりいっしょに遊びたいなら、せめて相手が何を楽しんでいるかは知っておいたほうがいいんじゃないかなと思います。

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文章は若いうちが面白い [サイト運営]

ファイル数286、容量43.4メガバイト
現時点で加賀電はこんな容量になってます。俺が今まで起こした架鉄の中ではもっとも量的に多い架鉄となっています。これまでの俺架鉄と異なり、全体的にゆるゆるな設定になっているのが功を奏しているのでしょう。特殊仕様とは無縁の標準軌インターバン。加賀電はとても扱いやすい架鉄です。

さて、webアーカイブスで俺が8年前に作った架鉄「玉電鉄」がありました。
http://web.archive.org/web/20040407224840/http://www013.upp.so-net.ne.jp/tamaden/

今とやってることは大して変わらないんですが、文章は勢いがあるししょーもなくほとばしった部分があったりして読んでいてわれながら面白いんですね。8年前とはいえやっぱり文章が若いんです。若いからいい意味であまり考えずがんがん殴り書きしている。そのいきおいは今の俺にはとてもありません。
まあ、それゆえに燃え尽きるのも早かったのかなって気がします。

翻って今は加賀電をのんびりと更新しています。一応時系列でトピックス的なものをつらつらとやっているので当面ネタには困りませんが、やれPMSMだのやれ極性変換モータだのやれDDMだのといったものとは無縁で、インダクションモータとMBSA-1というこなれた技術で楽しんでいます。
自分自身はそれなりに楽しいなと思いますが、8年前の俺が見たらどう思うでしょうね。

「サマンサ耄碌したな」って言うかもしれません

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たまには他人を巻き込んでみるか! [サイト運営]

俺は趣味活動において、他人とつるむことを好みません。
趣味は一人で淡々とやるものという信念を持っています。

そんなわけで他人を巻き込んだ架鉄サイト「スネイル商会」を始めてみました。
とりあえずtwitterのフォロワーの中から架鉄をやっている人にダイレクトメッセージを送って、返事をくれた9人の架鉄を俺の世界に引き込んでしまいました。無論相互不干渉の原則は守った状態で。くどいようですが他人と絡むのは好みません。あくまでも「他人のネタを借りて作る俺のサイト」です。

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あくまでも傍流なので凝るつもりはありませんが、「なんちゃら連合やなんちゃらカード」とは違った、他所の架鉄とのクロスオーバーを提案したいなと思ってます。架空鉄道は想像の遊びじゃないですか。なんていうのか、妙にテンプレートがまかり通ってる感じなんですね。コンテンツにしてもそうだし発想にしてもそう。
他人と横並びのほうがつるむとき都合がいいのかもしれませんし、当人がそれで満足しているならとやかく言うことでもありません。が、俺としては「もっといろいろな架鉄が見てみたい」。
じゃあどうするか。口をあけて餌を待つのは俺の性分ではありません。ならば起爆剤として何か作ってみるか。

スネイル商会はそんないきさつで生まれました。

俺自身は他人を丸パクすること自体はそれほど悪いことだとは思っていませんが、じゃあ自分がテンプレみたいなことをやるかといえば「否」です。誰もが出来ることは他の誰かがやればいい。俺は俺しかできない発想で架鉄を作りたいと思っています。

え? 加賀電?
そっちはそっちでいろいろ考えています。
無題pg

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もしもポリゴンがなかったら [サイト運営]

加賀電は画像の多さだけが取柄といわんばかりに画像をパカパカ上げていますが、このペースを維持できるのはひとえにポリゴン様のおかげでございます。俺がテキストを作っている間にコンピュータがバックグラウンドでいっしょうけんめいレンダリングしてくれるわけですから、イラスト描いて文章描いてという手法に比べると圧倒的に楽なのです。
とはいえポリゴンも、三角形や四角形の板切れ組み合わせてそこに絵を貼り付けるわけですからそれなりに手間かかるんじゃないの? という向きもあるかもしれません。まあ確かに手間といっちゃ手間ですが、1からイラスト描くのに比べればそんなの手間のうちに入りません。
ところで俺には、空間把握能力が根本から欠けています。すなわち立体的な絵が描けないのです。

加賀電の100形電車を鉛筆書きしていました。致命的にパースがイカれています。こんなんでもけっこう時間かかってしまうんです。まあ15分くらいはかかったでしょうか。15分あればウチのPC(CORE2DUO/2ギガヘルツ)ならさっさかと描いてしまいます。

この画像で大体5分弱です。3分の1の時間で背景と色までつけてくれます。モデリングの時間を考慮に入れてないじゃないかというかもしれませんが、んなもんイラスト描くのに比べりゃ誤差みたいなもんです。

さて本題。
もしもポリゴンがなかったら俺は画像をどうしていたでしょう。少なくとも加賀電のような「画像数だけがとりえの架鉄」は作れません。
ポリゴンを使う前のモナ電は、実車の写真をトレスしてそれっぽく描いていましたが、アレはアレで手間の割にはちっともそれっぽく見えないのです。ですから俺は潔く絵を取っ払うか、イメージ写真を数葉置いて済ませてしまうと思います。側面図はや前面図は生理的に嫌いなのでやりません。ありゃ電車の標本だろと思っているクチなんで。
自分はこれこれこんなもんを表現したい。しかし技術が追いつかない。もちろん技術を取得するための努力は尊いですし、それを否定するつもりはありませんが、今あるリソースでどうにかならないかを考えるのもまた一興だと思います。

趣味でいっそ苦しむくらいなら、あきらめてしまうのも手だと思うんですね。俺は絵が描けない。だからビジュアルに訴えるような架鉄は作れないと悟り、別の道を考えました。それが「むちゃくちゃな理屈でむちゃくちゃな理論を成立させる車両架鉄」だったわけです。
絵はイメージを読者に伝える最小限のディテールにとどめ、ひたすら文章で押していく。こんなクソ長い文章読んでもらえないよな~という気持ちもよぎりますが、自分のやりたいことはこれなんだから他人に遠慮する必要はないよなと開き直りました。
あの時イラストでの表現をあきらめなければ、イラストを描くことばかりに腐心して架鉄の中身まで思いを馳せられなかったかもしれません。俺の架鉄は基本無茶理論が売りなので、ポリゴン化した今でもディテールは最小限です。細かいところ、表現する必要のない部分は徹底的に省略しています。

何でもかんでもやろうとすれば破綻して途中で投げ出してしまうこともありますが、多くを望まず身の丈にあった架鉄という方向で楽しめば、案外満足のいくものが出来上がるかもしれません。

工場内の画像ですが、どこまでパーツを流用できるか、どこまで省略できるかを考えて描いています。

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俺の架鉄における表現の自由に関する考え方 [サイト運営]

 東日本大震災といい台風12号・15号といい、今年は大災害に見舞われています。架鉄の中でもこれらの災害をネタにいろいろやっている連中がいますが、頭に虫沸いてるんでしょうかね。死ねばいいのに。

 さて、俺は言論の自由・表現の自由を何よりも大事にします。俺がやっていることに対して「不謹慎だからやめろ」とか言われるのは心外です。あなたが俺のやることが気に食わないなら軽蔑するなり罵倒するなり、人格を否定するなりすればいいのに「やめろ」とか何様のつもりでしょうか。
 おれはこと架鉄において表現を制限するいかなる事象も受け入れません。どんなに反社会的であろうと個人個人の表現は尊重されてしかるべきと考えています。その結果どのような反応が返ってこようが、表現する権利は何者も妨げるべきではないと俺は考えています。
 しかし同時に、表現した以上はどのような罵倒や不利益も受け入れるべきであると考えています(無視するというのももちろんありです。俺はこの方法をとっており、自架鉄においていかなる感想・意見も受け入れません)。世に出た作品である以上、閲覧者はそれを自由に批評する権利があります。「嫌なら見ないでくれ」というのは傲慢です。あなたが閲覧者にそれを強要するのは、閲覧者の自由を侵害しています。見れば腹が立つものをわざわざ閲覧して罵倒するのも閲覧者の表現のひとつ。作者はそれを妨げる権利なんてありません。どうしてもそれが嫌なら誰にも見せないか「私の作品を批判することは認めない」と事前に宣言した上で同意者のみに閲覧させるなど「自衛」すべきでしょう。それは表現方法のひとつとしてありだと思います。

 で、冒頭で俺は「現実の災害を架鉄に持ち込むバカは死ねばいいのに」と発言しました。もちろんこれは本心です。しかし「現実の災害を架鉄に持ち込むな」とは言いません。現実の災害を架鉄に持ち込んで被災者の心をえぐるのも表現であることには変わりありません。悪趣味だとは思いますが、悪趣味も趣味のうちです。俺はその表現の自由はたとえどれだけ悪趣味であろうが守られるべきであると考えています。

 でも、表現の自由を守ることとその作品に不快感を表明するのは別の話です。だから俺は一連の頭に虫がわいた連中を軽蔑しますし罵倒します。しかしその表現をやめろトは言わないのです。どんどんやっていただきたい。
 もちろん俺のサイトを罵倒するのも、冒頭で宣言したとおり自由です。どんどん罵倒してかまいません。しかし俺はその罵倒は受け入れません。俺は不愉快な架鉄を作り、閲覧者は罵倒する。そして俺はそれを無視する。

 これこそお互いが自由を行使した素晴らしい関係だと思っています。
 

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架鉄の火薬庫でありたいと思いつつ [サイト運営]

俺の架鉄をはじめすべてのサイトは「転載、パクり自由」を原則としています。著作権を放棄したわけではありませんが(したくてもできないし)、行使するつもりもありません。なんとなれば後出しで俺のサイトをパクって「私こそがオリジナルでありサマンサは俺の架鉄をぱくった」と言われてもかまわないとすら思ってます。仮にそういわれればさっさとそのサイトを店じまいして、新しい架鉄を作ることでしょう。
別に俺は著作権を軽視しているわけではありません。丸パク全コピーというのは少々寂しいですが、俺の架鉄を見て「サマンサだっせー、俺ならこう作るぜ」と思ってもらえれば俺としてはたいへん嬉しい。俺の思いつかなかったアプローチでいろんなネタが見られるなんて作者冥利に尽きるというもの。そんな素晴らしいものが見られるなら俺のコンテンツのみっつやよっつくれてやっても十分お釣りがきます。

だから俺は著作権を一切主張しないんです。架鉄作者がお互い刺激しあって面白い架鉄が生まれることこそ俺の喜び。俺の架鉄はそんな起爆剤でありたいのですよ。作者の心の炎に点火して大爆発を起こすような存在。

ただ、刺激しあうことは歓迎ですが馴れ合うことはいやなんです。
たとえば下手に付き合いがあると俺の架鉄を「独りよがりのクソ架鉄」とは面と向かっていえないと思うんですよ。こちらとしてはそういってもらって一向に構わんのですが、普通はいえません。
だから俺は交流を望まないのです。しけた火薬など何の役にも立ちません。俺は俺で面白い架鉄はリスペクトし、つまらない架鉄は無視しますし。

とにかくまあ、俺が作ったもので面白そうな、使えそうなネタがあったらじゃんじゃん持ち去っていただいてかまいません。
それで面白い架鉄が生まれたなら、俺にとっていちばんおいしい結果になるんですから。

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