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スタイリングの系譜~200形 [架空鉄道]

 加賀電の現役フリートにおけるスタイリングの流れは、500形を基準にしていますが、その中で200形だけ妙に浮いているのが気になります。もちろん設定としてはスタイリングの系譜がないわけではないのですが、それを解説するにはポリゴンでモデルをつくらにゃあならんわけで、まあこんなこと気にしている人もいないだろうからそのうちやっつけようと思っていました。
 で、いろいろあって眠れない秋の夜を使ってもうひとつの200形、赤瀬線200形を作ってみました。
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 赤瀬線は新小松駅から金平駅までは尾小屋鉄道線を走り、金平から赤瀬温泉までの6.4キロを結んでいました。尾小屋鉄道の廃止と同じ日に赤瀬線も「休止」となって現在は代行バスが走っているという設定です。
 この赤瀬線を救済できなかったことが加賀電の内部ではとても忸怩たる思いだったようで、2000年に赤瀬温泉が閉鎖したにもかかわらずいまだ代行バスを走らせているほどに思い入れがあるようです。
 そんな加賀電が赤瀬線のクイーンだった200形に思いを馳せた新車を作っても不思議ではありません。

 赤瀬線200形は1963年登場。独立間もない加賀電が温泉観光の目玉として2両製造しました。1両あたり75馬力の強力エンジンを搭載し、赤瀬温泉までの勾配区間を力走していました。車幅が2,100ミリと狭いために1人がけではありますがクロスシートを装備するなど、観光列車を意識していました。
 1968年に300形がデビューすると、新小松駅で加賀電特急とホームタッチで接続して赤瀬温泉に観光客を運んでいましたが、1975年の尾小屋鉄道廃止にあわせて廃車されました。再起を誓ってしばらくの間は新小松駅跡に留置されていましたが、加賀電小松金沢線の輸送力増強が急務となり、いつの間にか解体されてしまいました。

 200形は都市間連絡電車に特化したデザインになっていますが、スタイリングには観光要素を少しだけ入れています。それはみすみす手放してしまった赤瀬線への思いがいまだ断ち切れていない加賀電の気持ちがあらわれているのかもしれません。
 そんな湿っぽい話が企業で起こるわけがないじゃないかと思うかもしれませんし、それは正しいかもしれません。
 でも、加賀電では現実にあったのです。

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