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「リアルな架鉄」とはなんぞや [架空鉄道]

リアルな架空鉄道を否定するつもりはありませんが、俺の架鉄は一貫して「リアル」の優先度が極めて低くなっています。最低限の技術的整合性くらいはとりますが、それ以外の部分では基本的に「事実を基にしたフィクション」。現実的とかそういう部分から遠くなっても気にしないという考え方です。

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俺が電車を眺めるときは風景込みで見ることは以前にもお話しました(だから必ず風景をつける)が、そのとき俺は車両を「リアルだな~」という眼では見ません。「かっこいいな~」「美しいな~」「すげ~な~」とかそんな感じで見るわけです。つまり俺が電車を見るときに「リアル」という感情はないんですね。
だから架鉄を作るときも「かっこいい」「美しい」「すげ~」を考慮することはあっても「リアル」を考慮することはありません。なんとなれば俺はリアルであることを重要視していないからです。
架鉄は現実にないものです。リアルに近づけるというのはすなわち現実の何かに近づける作業だと思います。しかしそれは実物を研究すればおのずとその方向に行くものだと俺は考えています。したがってアプローチにおいてそれを重視する必要はなく、逆にそれを意識しているうちはロクなもんにならんなとすら思っています。

ところでジャンクションのデッドリンクを管理するため定期的に架鉄サイトを見て回ってるんですが、気になるのは「目で作ってる架鉄が多いな」って点です。目で作るとはどういうことかというと、目で見える部分をなぞってわかった気になっている。その奥に踏み込まない(=考えない)架鉄って意味です。無論それが悪いとはいいませんが、見ていて面白くない架鉄です。
ものが見えるというのは実に厄介なんです。ビジュアルってテキストに比べて情報量が格段に多いんです。だからその情報量で脳がおなかいっぱい(変な表現だな…)になってしまう。ほんとうは脳に届いたその情報を整理・吟味しなければ自分のものにならないんですが、そこに気づかない。

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俺は車両でしか語れないので、床下機器で説明します。電車の床下を見るといろんな機械がぶら下がっています。上の画像で言うと右から元空気ダメ、リレーボックス、発電抵抗、界磁接触器となります。多くの架鉄は床下機器を四角や丸だけで表現しています。ごちゃごちゃした床下機器を見てその情報だけで満足しており、それぞれがどのような役割を持っているのかという考えに至らない。だから四角や丸、それ以上には見えない。
これをもう少し観察を進めると、機器類に文字が書いてあることがあり、そこからその機器の役割を知ることができる。役割がわかればどのような機器が配置されれば電車が動くかを理解することができ、適切な機器配置に近づいていきます。これが「リアルへの過程」の一例です。
車体にしてもそう。標準化車体です。ブロック鋼体です。A-TRAINです。これらはいずれも「目で見た情報」でしかありません。たとえばブロック鋼体ならどのようにSUSを接いでいるのかとかそこに考えがいたらなければ、見たままおかしな鋼板の接ぎかたになってしまうわけです。

それはリアルですか?

「リアル」を目指すことは(俺は興味ありませんが)悪いことではありません。
しかし目指す以上は目で見るだけでなく頭で考えましょう。いくら丁寧に側面図を描いても、観察なき図には何の価値もありません。すべてのパーツや取り付け寸法には意味があります。それを観察し、咀嚼し、考察し、適切に配置して初めて「リアル」といえるのではないでしょうか。
目は見えるものしか認識できません。
見えない部分を考察するのは、脳みそと知識(=センス)です。

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