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架鉄の火薬庫でありたいと思いつつ [サイト運営]

俺の架鉄をはじめすべてのサイトは「転載、パクり自由」を原則としています。著作権を放棄したわけではありませんが(したくてもできないし)、行使するつもりもありません。なんとなれば後出しで俺のサイトをパクって「私こそがオリジナルでありサマンサは俺の架鉄をぱくった」と言われてもかまわないとすら思ってます。仮にそういわれればさっさとそのサイトを店じまいして、新しい架鉄を作ることでしょう。
別に俺は著作権を軽視しているわけではありません。丸パク全コピーというのは少々寂しいですが、俺の架鉄を見て「サマンサだっせー、俺ならこう作るぜ」と思ってもらえれば俺としてはたいへん嬉しい。俺の思いつかなかったアプローチでいろんなネタが見られるなんて作者冥利に尽きるというもの。そんな素晴らしいものが見られるなら俺のコンテンツのみっつやよっつくれてやっても十分お釣りがきます。

だから俺は著作権を一切主張しないんです。架鉄作者がお互い刺激しあって面白い架鉄が生まれることこそ俺の喜び。俺の架鉄はそんな起爆剤でありたいのですよ。作者の心の炎に点火して大爆発を起こすような存在。

ただ、刺激しあうことは歓迎ですが馴れ合うことはいやなんです。
たとえば下手に付き合いがあると俺の架鉄を「独りよがりのクソ架鉄」とは面と向かっていえないと思うんですよ。こちらとしてはそういってもらって一向に構わんのですが、普通はいえません。
だから俺は交流を望まないのです。しけた火薬など何の役にも立ちません。俺は俺で面白い架鉄はリスペクトし、つまらない架鉄は無視しますし。

とにかくまあ、俺が作ったもので面白そうな、使えそうなネタがあったらじゃんじゃん持ち去っていただいてかまいません。
それで面白い架鉄が生まれたなら、俺にとっていちばんおいしい結果になるんですから。

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「リアルな架鉄」とはなんぞや [架空鉄道]

リアルな架空鉄道を否定するつもりはありませんが、俺の架鉄は一貫して「リアル」の優先度が極めて低くなっています。最低限の技術的整合性くらいはとりますが、それ以外の部分では基本的に「事実を基にしたフィクション」。現実的とかそういう部分から遠くなっても気にしないという考え方です。

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俺が電車を眺めるときは風景込みで見ることは以前にもお話しました(だから必ず風景をつける)が、そのとき俺は車両を「リアルだな~」という眼では見ません。「かっこいいな~」「美しいな~」「すげ~な~」とかそんな感じで見るわけです。つまり俺が電車を見るときに「リアル」という感情はないんですね。
だから架鉄を作るときも「かっこいい」「美しい」「すげ~」を考慮することはあっても「リアル」を考慮することはありません。なんとなれば俺はリアルであることを重要視していないからです。
架鉄は現実にないものです。リアルに近づけるというのはすなわち現実の何かに近づける作業だと思います。しかしそれは実物を研究すればおのずとその方向に行くものだと俺は考えています。したがってアプローチにおいてそれを重視する必要はなく、逆にそれを意識しているうちはロクなもんにならんなとすら思っています。

ところでジャンクションのデッドリンクを管理するため定期的に架鉄サイトを見て回ってるんですが、気になるのは「目で作ってる架鉄が多いな」って点です。目で作るとはどういうことかというと、目で見える部分をなぞってわかった気になっている。その奥に踏み込まない(=考えない)架鉄って意味です。無論それが悪いとはいいませんが、見ていて面白くない架鉄です。
ものが見えるというのは実に厄介なんです。ビジュアルってテキストに比べて情報量が格段に多いんです。だからその情報量で脳がおなかいっぱい(変な表現だな…)になってしまう。ほんとうは脳に届いたその情報を整理・吟味しなければ自分のものにならないんですが、そこに気づかない。

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俺は車両でしか語れないので、床下機器で説明します。電車の床下を見るといろんな機械がぶら下がっています。上の画像で言うと右から元空気ダメ、リレーボックス、発電抵抗、界磁接触器となります。多くの架鉄は床下機器を四角や丸だけで表現しています。ごちゃごちゃした床下機器を見てその情報だけで満足しており、それぞれがどのような役割を持っているのかという考えに至らない。だから四角や丸、それ以上には見えない。
これをもう少し観察を進めると、機器類に文字が書いてあることがあり、そこからその機器の役割を知ることができる。役割がわかればどのような機器が配置されれば電車が動くかを理解することができ、適切な機器配置に近づいていきます。これが「リアルへの過程」の一例です。
車体にしてもそう。標準化車体です。ブロック鋼体です。A-TRAINです。これらはいずれも「目で見た情報」でしかありません。たとえばブロック鋼体ならどのようにSUSを接いでいるのかとかそこに考えがいたらなければ、見たままおかしな鋼板の接ぎかたになってしまうわけです。

それはリアルですか?

「リアル」を目指すことは(俺は興味ありませんが)悪いことではありません。
しかし目指す以上は目で見るだけでなく頭で考えましょう。いくら丁寧に側面図を描いても、観察なき図には何の価値もありません。すべてのパーツや取り付け寸法には意味があります。それを観察し、咀嚼し、考察し、適切に配置して初めて「リアル」といえるのではないでしょうか。
目は見えるものしか認識できません。
見えない部分を考察するのは、脳みそと知識(=センス)です。

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お前は人に飯を出すとき、テーブルに素材をぶちまけるのかという話 [サイト運営]

はじめに
twitterフォロワーの皆様へ。ぶち切れた口調で書くのは演出上の問題で、普段はたいへんおとなしい俺、サマンサです。

で、twitterでもぶちきれたんですが、架空鉄道ジャンクションに架鉄を登録しているときにうんざりしていたんです。俺は基本的に架鉄の出来について言及はしません。優れた出来の架鉄を褒めることはあっても箸にも棒にもかからない架鉄をくさしたりはしません。が、俺も一人の人間ですので、ブチ切れることはあります。
何にうんざりしたかといいますと調理法。架鉄サイトを作る以上は少なからず人に見せるためにアップロードするのだと思います。人に見せるということは「相手のことを考えてサイトを構築する」ということです。内容に関しては個人の好みがありましょう。だからそっちでは好みを全面的に押し出せばよろしい。その味付けに口が合わない人も出るでしょうがそれは相性の問題。気にする必要はありません。

しかし、ブログでカテゴリわけもせず、情報の断片をロクに整理もせず垂れ流すだけというのは正直「閲覧者なめてんのか」と思います。くどいようですが内容については一言も吟味していません。それ以前の話です。
ブログを使うにしたって路線・車両・沿革・システムなどにカテゴリわけをしたり、いったんアップロードしたものを再編集して見やすくすることは不可能ではありません。そういった努力を放棄して多くの人に見てもらおうというのは虫が良すぎる話です。また、未完成部分にリンクを貼って平気で404を見せる神経も理解できません。コンテンツが出来ていないのならリンクを貼らなければ言いだけの話なのに、なぜわざわざリンクを貼るのか。理解に苦しみます。
細かいことにうるさい奴だと思うかもしれませんが、人をもてなすとはそういうことです。見やすいように項目を整理するのは、料理を小皿に取り分けるようなものです。整理がなっていないサイトというのは、テーブルに料理の材料をぶちまけて、そのくせ何も乗っかってない皿(404)までテーブルに乗っかっているようなものです。その状態を「客をもてなした」状態だと思うならちょっと考え直したほうがいい。これは明らかに「客を馬鹿にした」姿勢です。

人にモノを伝えるときは情報をしっかりと整理して、読者に内容以外の部分でストレスをかけないことが大事です。そして用意したコンテンツには最低限の説明もほしいですね。ただ駅看板を置いて「駅名標です」といわれても読者は「そうだねそれっぽいね」で終わりです。そこにわざわざ紹介した理由くらいは書きましょうよ。この看板が紹介に値する理由があるからアップしているわけですよね。
もし「それほど理由はない」というならばっさり撤去することをお勧めします。余計な情報は読者を混乱させます。あなたが架鉄を通して読者に何を伝えたいか優先順位をつけ、優先順位の高いもの3つくらいにリソースを集中して構築したほうが読者には伝わるんじゃないかと思います。もしそれ以上のことを読者に伝えたいのであれば、コンテンツを細かく切り分け、時間をかけて構築していくしかありません。そのこと自体は否定しませんが、サイトデザインをかなりしっかりとしないと読者は見てくれないと思います。

ブログのおかげでサイト構築は簡単になりました。しかし、簡単になったのであれば読者に対する「見やすさ」を考えることであなたのサイトはもっともっと多くの人と共感の輪を広げられるでしょう。
もっとも、俺みたいに最初からいろんなものを放棄するというやり方もありですが

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