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狼になりたい [架鉄ウォッチ]

はじめに言っておきますが、かにれいるは嫌いです。
正直鬱陶しいです。俺の視界から消えてくれればと常日頃から思っています。

以上を踏まえて

ツイッターでも少しつぶやいたのですが、今、かにれいるに必要なものって「話を聞いてくれる人」だと思うんです。とにかく彼の自説をうんうんと聞いてくれる人。言ってみれば子どもが母親に自分が仕入れてきたを自慢げに語り、母親はそれをうんうんと聞いているじゃないですか。そんな関係が必要なのではないかと思うのです。
ただ、そんな都合の良い人がホイホイいるわけありません。だから世の大人はお金を払って風俗嬢を説教するのかなと思ったりもします(俺は風俗未経験なのでこの点は推測)。

ネット界隈では「彼女とか嫁とかもらって趣味の自由がなくなるなら一人でいい」みたいな論調がありますが、交流のない趣味ってけっこう味気ないことを覚悟しなくてはなりません。俺は趣味の世界で論争をするのがものすごくイヤなので孤立を選びました。それでもきわめて狭い範囲では交流を行っています。そのくらい気心の知れた人との趣味の会話は楽しいのです。

しかし、かにれいるにはそれがない。
自らがまいた種とはいえ、誰からも相手にされず、他人との距離感をつかめないがゆえに疎まれる。
これって趣味をやる上ですごくつらいことだと察します。ゆえに必死に「俺はすごいんだぞ」アピールをして気を引こうとするのかなと、ここ最近の彼を見て思うのですね。

改めて念を押しておきますが、俺はかにれいるが嫌いです。自分とはかかわりなくても視界に入るのさえ不愉快です。
でも、趣味人としてかわいそうだなとも、少しだけ思います。

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観察力とはね…… [架鉄ウォッチ]

久しぶりにツボに入った架鉄車両を見たので紹介します。
小野川電鉄の300形。特に中間車の床下がたまりません。この絵を見た瞬間文章を読まなくても「あ、これは中間Tを切り離した2連の運用も想定してるな、ってことが伝わってきました。
イラストに含まれる情報量というのは文章とは比較にならないほど大きいものです。床下機器なんて丸と四角を適当に描いておけばいいじゃん的な架鉄車両(しかもそんなところが車両系架鉄とか名乗ってるともう…ね)が多い中、ちゃんとデザインされた架鉄車両を見ると本当に嬉しくなります。
さらに説明文を読むと、スタイリングに対する理由がちゃんと描かれています。理由があるからこの形になったということが明確に提示されているスタイリングだから、実に美しいし納得がいきます。なるほどこれは70年代の中小私鉄が輝いた最後の時期に登場した電車だな、ということがデザインから伝わってくるわけです。作者の観察力に惚れ惚れしてしまいます。

架鉄の車両を作るときに大事なものは、観察力と分析力です。なぜこのような形になったのかという観察力は、こういう状況ならこういう形になるという分析力をはぐくみます。空想世界だからいい加減でいいや、というのはもちろんありですが、人に何かを伝えようとするとき「ただなんとなく」ってのは伝わらないんですね。
小野川電鉄の300形は、中間車には自車の電源をまかなう装備しかない。固定編成ならエアや補助電源といった機器は比較的スペースに余裕のあるTに乗せるのが「定石」。その定石を破ったからには何か理由がある。それが「閑散期はTを切り離す」なわけです。理由があり、それが形になっていることの素晴らしさがわかってもらえたでしょうか。

もちろん何の考えもなしにそういった絵を(どこからかの写真をまねて)描いたという可能性もあるでしょう。しかしそれは文章が否定しています。イラストの表現と文章が矛盾していない。つまり作者はちゃんと知識として消化した上で形を作っているわけです。
こういう架鉄車両こそ俺は「グッドデザイン」だと思っています。



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中身のない人ってやたら数字をでかくするよね [架鉄ウォッチ]

京阪電鉄京津線と言う路線があります逢坂山・東山越えによる劣悪な線形を高性能車で克服した、電車好きにはたまらない路線です。悪条件を克服するためにさまざまな工夫を凝らした800系電車は、最高速度時速70キロで逢坂山を軽快に走ります。俺はこの京津線の走りを「史上最速の70キロ」と称えています。
与えられた条件の中をまっとうな技術でクリアした末に獲得した時速70キロは、誰がなんと言おうと速い。平行するJR東海道線の新快速は時速130キロだけど、それと同等以上に京津線の時速70キロは速いと思っています。

架鉄においてスピードというのはひとつの個性足りえるものかと思います。その速度に時速何キロを設定しようが個人の自由でしょう。自分のサイト内でその速度を自慢するなら勝手にやってろと思います。
ただ、自分の架鉄においては、最低限の礼儀を設定したい。直流1500ボルトで何の根拠もなく時速200キロオーバーの世界を作るような無作法はしたくないのですよ。200キロをやるならしかるべきシステムを構築したいわけです。
俺が200キロ運転をやるなら「速い200キロ」を目指したいんですね。それは、まっとうな技術でひとつひとつ問題をクリアし、それでいて適正な運賃をいただいた上で利益が見込める時速200キロ。物理を侵さずシステムに逆らわず、それでいてできることをやりつくした上での限界速度こそが、俺は「速い速度」だと思っています。何の根拠もなしに、少なくともモータ出力やギア比に見合わない200キロや300キロに俺は価値を見出しません。

加賀電はインフラを鑑みるに、106キロがいいところです。2,100アンペアの電流を2つのパンタで集電し、170スケの架線を傷めないよう経済的に走れる速度を選定したら106キロでした。121キロまで速度を上げるとパンタグラフのスライダーを変えなくてはなりませんし、架線の寿命が半分(本当に半分なんだわ!)になってしまいます。
だから加賀電の最高速度は106キロです。そして支線の架線は110スケなので65キロ。地方私鉄である加賀電にとってこれがいいところでしょう。
たかだか106キロで特急とかだっせー! と言いたければ言ってください。
誰になんと言われようと、加賀電の106キロは速いことは、俺自身がよくわかってますから。
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感性を信じるな [架鉄ウォッチ]

デザインのカテゴリにはおおまかに言って「エンジニアリング」と「スタイリング」がありますが、俺が「デザイン」と言うときに、意図的に「スタイリング」の要素を外しています。それは俺にスタイリングのセンスがないから語ることが出来ないという点が大きいのです。まあ、エンジニアリングのセンスも自慢できるようなものではありませんが、それでもスタイリングよりは語れます。
センスとはこのブログで何度も言っていますが、知識です。間違っても己の感性などではありません。知識という言い方が癇に障るなら「作法」でもいいです。いずれにせよそのジャンルに対しての造詣が問われるわけです。
モノの成り立ちというのは長い歴史の中でいろいろな人が提案し、議論し、形を作ってきました。その流れは多くの人に触れられることで「万人がよしとする形」となって行きます。つまり、長い歴史の中で森羅万象さまざまなものが「デザインされてきた」わけです。
人が100人いれば100人の考え方があります。その中の1人が自分のために何かをするのであれば「感性」に頼ってもいいでしょう。しかし、100人が使うものであれば独りよがりの感性で作られたものが皆に喜ばれる可能性はきわめて低い。ではどうするか。

デザインするんです。

これまでの歴史に学び、作法を学び、様式を学び、その上で用途を考え構築する。そうすることで多くの人が使いやすいものが出来るわけです。長い歴史の中で多くの人が美しいと思うコーディネートがファッションセンスであり、多くの人が美しいと思うのが芸術的センス。つまり、センスは知識であり教養であり作法なのです。

架空鉄道でも車両に関しては、100年の長い歴史の中でさまざまな技術が提案され、作られてきました。それは各鉄道の事情にベストフィットしたとは限りませんが、日本の鉄道という環境の中で最適解を求め続けてきた歴史があり、さまざまな法律による作法があり、先人が残してきた知識があります。これらを無視してたかだか数十年しか生きていない自分の「感性」だけで作った車両がはたして「デザインされた車両」といえるでしょうか。俺にはそんな不遜はできません。

架空鉄道はしょせんは遊びです。ですから自分の好きに楽しむのがいちばんです。それを踏まえたうえで言いますが、歴史を学び、作法を学び、知識を蓄えて崩した架鉄はとても見ごたえがあります。
そこで蓄えられたセンスは、作者の感性に磨きをかけて、架鉄はいっそう魅力的に発展していくことでしょう。

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名もなき架鉄 [架鉄ウォッチ]

架鉄趣味は衰退したのか

そら一時期と比べてweb架鉄の更新頻度は下がったかもしれません。読み応えのある架鉄が減っているのも事実かもしれません。しかしそれをもって「架鉄が衰退した」「ええ架鉄スレが動いていた時期はよかった」というのもちょっと違うんじゃないかと思ったりもします。
架鉄は基本的に空想遊びです。自身の脳内で完結していればいいのですから、あちこちに矛盾があって当たり前。その中のごく一部がその矛盾を考察し、合理的な解釈を与えて楽しんでいるんだと思います。
ここで間違ってほしくないのは、想像に対して合理的な解釈を与える楽しみ方「だけ」が、架鉄の遊び方ではないということです。脳内に思いのまま風景を構築し、列車を走らせるのも立派な架鉄の楽しみ方といえましょう。そういった意味では架鉄は廃れてないのです。

俺は「ええ架鉄病」という言い方をよくします。自分が勝手に悩んでいい物を作る。これはまったく悪いことではありませんし、ええ架鉄病ではありません。たちが悪いのは、他人の架鉄へのかかわり方に対して、自分の架鉄の尺度で物差しを当ててしまうことです。そりゃああなた様は立派な架鉄を作っているかもしれません。でも、それ以外のあり方を認めないってのは、そりゃあ了見が狭いんじゃありませんかと思うわけです。
以前のエントリにも書きましたが、俺は歴史が大嫌いです。考証もできることならしたくありません。今でも「歴史」とか「考証」と聞くと身構えるほどに嫌いです。ただ風景の中を俺が思い浮かべた電車が走る。それが俺の中でもっとも楽しい架鉄です。もし「考証なき架鉄は架鉄にあらず」なんていわれたら、俺は「じゃあ架鉄やめるわ」とするでしょう。何人たりとも俺の架鉄に触れることは許されないのです。

もしかしたら、「架鉄が廃れた」と思っているあなたが架鉄を廃れさせているんじゃないでしょうか。
ある種の形以外のものでないと、ある一定のレベルでないと架鉄として認めない。そんな気持ちがあるんじゃないでしょうか?
あなたが思っている以上に「名もなき架鉄」は多いと思いますよ
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ここ最近思ったこと [架鉄ウォッチ]

 人に食わせるわけでなく、自分が食べるために作る食事ってのはまあ、てめえが納得できれば手を抜いても許されるわけです。ひとつふたつ食材が足りなかろうがまあご愛嬌でしょう。ただ、さすがに似ているからといってロールキャベツでキャベツの代わりにレタスを使ったり、挽き肉の代わりに粘土を使ったりはしないと思います。
 ましてや料理がうまくなりたいと思うなら、お手本を参考に丁寧に作ると思うんですよね。そうして少しずつオリジナルの味をいれていく。何度も言いますが楷書ができない人間の行書は個性でもなんでもありません。ただの汚い文字です。

 以上を鑑みて、車両系架鉄を眺めてみます。
 果たして実物を研究して、らしさを求めた架鉄車両はどれだけあるのだろうと思うわけですよ。車両に興味なければ細かいことなんてどうだっていいんです。こんな感じの車両が走ってるなってことが伝わればそれで十分です。
 そうでないなら、まずは実車の寸法を徹底的に守って1両作ってみましょう。自分の感性は例によって捨ててください。車両を実際に作ったこともない人間の感性なんてロクなものではありません。プロの作った図面にかかれた数値には様々な理由があります。その理由が見えてくるまで徹底的に「書写」をすれば、あなたが作る架鉄車両はきっとそれなりに、他人に見せても恥ずかしくない程度のものができるかと思います。スタイリングにおいてもそこそこのバランスを得ることができるでしょう。
 センスは知識です。センスを磨くには知識の取得以外ありえません。知識は観察と分析からしか生まれません。これらの手順を省略したもので他人を説得するのは困難です。それはなぜか?
 知識は万人に共通する基盤です。どんな御託も相手に伝わらなければ意味がありません。窓が大きいのはなぜか、車輪が異様に小さいのはなぜか、一般のルールから逸脱する以上はそこに説明がなければ人に伝わりません。情報と画像がマッチしない、たとえば床下が明らかにVVVFなのに抵抗制御とかかれれば見る側は混乱します。料理の例で言えば、ロールキャベツにレタスを使う理由がわからなければ人は混乱しますよね。
 俺が個人で完結し、わかる人だけがわかればいい。感想不要と言う根拠はここにあります。自分のなかではまだまだ甘い部分があるからです。見る人がみれば怒濤の突っ込みが入るのはわかってます。

 安易な架鉄を世に出せば、叩かれるのは当たり前です。
 それを回避するには誰にも見せないか、叩かれても気にしないか、勉強するしかありません。あなたが「このテレビ下らねえ」「あのアイドルキモい」と放言するように、他人はあなたの架鉄をこき下ろします。世に出すということはそういうこと。プロもアマも関係ありません。
 個人の感想をコントロールできるなんてのは傲慢だと知りましょう。
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